禅クリーニング

5 月24

2日前の深夜から、急に思い立って大掃除。

しばらく遠出が続いたせいで、家はほったらかし、溜まるものはたまりっぱなしだったのです。

部屋が散らかっているのって嫌ですね。

散らかっている、というストレスに気力を吸い取られて、何もできなくなってしまいます。

ついには、お掃除もできなくなってしまいます。

それで、さらに部屋が散らかってゆきます。

以前、「部屋が散らかっているストレス」が頭をもたげていて

それをイギリス人の友達に愚痴っていた時のこと。

「そんなに大変なら、お掃除をする人を雇えば良いんじゃない?」

と言われて

「それは嫌だなぁ」

と思ったのですが、それがどうして嫌なのか、というのを説明するのが、なかなか難しくて

「や、そういうのは禅じゃないから。」

と日本人らしいこと(?)を言ってその場をしのぎました。

私はどこかの宗派にぞくしている人、とかではないのですが、禅のお話を聞くと

「はぁーなるほど!ありがたや、ありがたや。」

となるので、禅というのに特別の好感をもっています。

それで、ありがたい禅の教えを

「何かをするというのは、初めから最後までする。という事ですよ」

とか

「働かざる者食うべからずですよ」

とか、簡単なかたちに置き換えて心の中にキープしています。

口をついて出た

「そういうのは禅じゃないから」

も、実は、心から出てきた本当のところだったのかもしれません。

お掃除みたいなクリエイティブでないことほど、大事な禅修行ですよね。きっと。

私の好きな禅エピソード(?)の中にこんなものがあります。

おしょうさんが、炊事担当の小僧にお米と砂利の混じったものを手渡して

「これを調理しておくように」

と言います。

小僧はお米の中の砂利を除いてそのお米を夕ご飯としておしょうさんにお出しました。

するとおしょうさんは

「それで、あの砂利はどうなりましたか?」

と聞きます。

小僧は「どうしておしょうさんは、砂利のことなんて聞くのだろう?」

と不思議に思いました。

というお話。という感じのお話。・・・実ははっきりとは覚えていないのです。

ただ、その時

「不都合なもの排除するのではなくて、ものをあるべきところに返す、という考え方が禅なのかな?」

と思ったことだけはしっかりと覚えています。

人は人のあるべきところへ。

熊は熊のあるべきところへ。

木は木のあるべきところへ。

排除するのではなくて、あるべきところに置く、返す、という考え方。

こういう思考モデルだったら、戦争なんて起きないんだろうなー。と思います。

という事で、この二日間は禅的大掃除に明け暮れていました。

紙くずは紙くずのあるべきところへ。

塵は塵のあるべきところへ。

シミはシミのあるべきところへ。

そう思うと、合成洗剤とか、流してしまったらどうなるんだろう?みたいなアグレッシブな液体とかは使えません。

使うのは、もっぱら、石けんやお酢や重曹などです。

そもそも、なんとかアタック!とか、なんとかキラー☆とかは、ものすごく排除する感じが苦手です。

穏やかにゆこうよー。と思ってしまいます。

部屋が整うと気持ちが良いですね。

環境への負担も抑えられたと思うので、今回のお掃除も大満足◎

きれいなお部屋でおいしいYOGIティーをいただきました。

ありがたや。ありがたや。

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