日々のPUJA

9 月2

松江市に帰った日の翌日。

早起きをして、街を歩きました。

久々に見る、松江市の風景。宍道湖。

歩きながら、何を探していたのかというと、音です。

穂高での日々は、プージャ(PUJA)から始まりました。

プージャというのは、朝と夜に行われるお祈りの儀式です。

私たちはシバ神を祭り祈りましたが

それはただの象徴であって、大切なのは、私たちの内面に起こる現象なのだそうです。

その儀式に使われる お花を摘んだり、沐浴のためのお水を準備したりするのが 

私の、朝一番の仕事。

朝露にぬれた花を丁寧に摘んで、プージャを行う司祭、ドゥループジのところに持ってゆくと

彼は手馴れた様子で ギーと呼ばれる精製バターでキャンドルを作ったり

捧げもののフルーツ(プラサード)を器に盛ったりして プージャの準備をしていました。

カースト制度の頂点の位であるブラフマンだけが行う事のできるプージャの儀式。

この夏を一緒に過ごさせてもらった ネパール人のドゥループジは

ブラフマンであり、プジャリジ(司祭)であり、そして 私と同じ28歳でした。

気さくで明るい青年。いつも歌をくちずさんでいて、笑顔を忘れない人。

まるで、幼馴染みたいに 仲良くさせてもらっていたけれど

本当は、はるか遠くの神の世界を生きている聖人です。

時折、淡々とプージャの準備をするドゥループジから、目が離せなくなってしまったのは

神を愛して、神と関わり続ける彼の人生の一瞬が、美しすぎたから。

そして、もちろん プージャの儀式そのものも、まさに美そのものでした。

サンスクリット語で唱えられるマントラ(真言) 手渡される 花の香り

手をかざしたキャンドルの火のあたたかさ

もしも、神に何かを祈るとしたら

「この 祈りの日々が永遠に続きますように」

でした。

私にとって、一番大切なプージャの儀式でしたが、キッチンでの仕事のために

参加できない事も 多々ありました。

お茶の準備が忙しくてプージャに参列できなくなった時

これからシバ神の祭壇に行こうとしているドゥループジに

「私もプージャに行きたかったのに・・・」

と小言を言うと

聖人の彼はくるりとこちらを振り返って

「お茶を入れるのも プージャだよ」

微笑みました。

大切なのは内面。

シバ神の像よりも サンスクリット語の マントラよりも 美しい花よりも

大切なのは 自分の中にあるもの。

自分の中とつながっているもの。

お茶を入れながら

静けさに耳を傾けて、心のシャンティ(平穏)を感じていれば

それはプージャなのかも。

私は、聖人がふと投げかけてくれた言葉を大切に心に溶け込ませるように、しばらく目を閉じました。

松江市に帰ると 日常の生活が始まりました。

プージャという場のない生活。

それで、せめて音だけでも聖なる音 根源的な音を聞きたいと思って、松江市を歩き回っていたのです。

静かなほうへ 静かなほうへと。

きっと かすかに聞こえる 風の音とか、川の流れる音とか

そういうのは、サンスクリット語のマントラと同じだと思うから。

ずいぶん田舎に住んでいるつもりだったのに

松江市はやっぱり大きな都市のようで

半日歩いても、結局、求めている音は見つかりませんでした。

音は聞こえるけれど、その後ろにある余白のような 静けさを感じられる場所がみつかりません。

残念に思いながら県立図書館に入って休憩。

静かな館内で東洋医学の本をめくりながら 座っていると

心臓の音がドキドキドキドキ・・・・聞こえてきて

「もしかしてこの音もマントラかも?」

なんて思ったり。

プージャの場はいろんなところにあるのかもしれません。

私は生活の中にプージャを感じながら生きてゆきたい。

内面を見つめること。自分を超えた存在を敬うこと。

そういう事を忘れずに。

祈りの日々が これからも続きますように。

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