アンテナ
土曜日の朝の10時
リビングで
アンテナのポーズをしながら待っていると
ヨガの生徒さんのナホさんが来ます。
のんびりとしたヨガをして
その後、お茶を飲みながら
お話ししていると いつの間にか
正午をまわっています。
・・・というのが 毎週末の楽しみだったのですが
4月に、津和野にお引越しされましたので
ヨガでお会いする事ができなくなりました。
「西部のほうに行かれる事があったら
ぜひ 立ち寄ってくださいね」
とおっしゃっていたナホさん。
そういう お話には すぐに のってしまう
わたくしですので
早速 行ってきました。
津和野。
わたしは奥出雲で育ちましたので
島根県というと どうしても
出雲のあたりのごく一部の風土を連想してしまうのですが
実は島根県は広いです・・・。
というか 長いですね。
西部のほうには 出雲、松江とは
違った文化が息づいているようです。
落ち着いた街並みと
あっけらかんとした石見人のホスピタリティーが
なんとも素敵で
1泊2日とは思えない
充実した時を過ごさせていただきました。
ナホさんのお宅は
想像していたとおり
とてもシンプルで上質な空間。

(フェアトレードのオーガニックコットンシーツ。眠りの深さが倍になります。)
そして わたしの家と同じくテレビがありません。
わたしの場合 新聞さえもとっていないので
タイムリーな話題には ついてゆけなかったりします。
わたしが手にしている情報は
おもに
ヒトから聞いた話か
本で読んだことです。
情報というのは
数億の偶然を経て
耳や目から自然に入ってくるもの。
知識というのは
その入ってきた情報が
内側に根付いてゆき
いつの間にか萌芽しているものを
指すのだと思います。
情報そのものは無限にあり
その上 いつでも 取り出し可能です。
そんな世の中では
たくさん ものを知っている という事は
それと言って尊ばれることでもないのかもしれません。
たくさんの情報をもっている人のお話が
往々にして退屈だったりするのも
きっと そこにあったはずの
価値が薄れているからなのだと思います。
それよりも 何を知っているか。
どのような数億の偶然の先に身をおいていて
どんな情報を萌芽させる地質を
その人が持っているのか・・・。
そんな事が
大切になってくるのだと思います。
その日
出雲地方の習慣(?)である
夜のお茶会をしながら
ナホさんと お話したこと。
アフリカの話。
心理学の話。
出雲人の話。
お会いできなかった2か月分のお話は
深夜にまで及びました。
なんとも平和な事だと思います。
もしも わたしが
大変危険な地域で
明日の命を心配しながら
生きているとしたら
あらゆるところに
アンテナを張り巡らせて
危険を察知しなければなりません。
そして おそらく そのような日々は
人を内側から荒廃させるのだと思います。
怖れに見合うだけの
情報の散布は
いつしか
大地を枯らします。
だけれど
わたしが 見渡す限りの 世間は
メディアが騒ぎ立てているほどには
危機的状況でもない様子。
わたしの情報収集の仕方は
両手を広げて待つ。
時々 場所を変えて
また
両手を広げて待つ。
という大変受動的なもので
今のところは
大丈夫なようです。
今 目の前にある平和と
津和野での楽しかった時間に
感謝します。





