自己判断の悪魔

6 月17

稽古2日目。

ワークショップの開始時刻は夜の7時なのだけれど

時間の都合のつく参加者はお昼の2時から

稽古をさせてもらえることになった。

このワークショップのために日本に帰ってきたわたしは

もちろんお昼から夜まで参加しようと思っている。

この稽古の緊張感に体がついてゆければ・・・だけれど。

稽古初日は心身ともにダメージが大きかった。

「はい・・・それじゃあ あの人の隣に座って 

何でもいいから自由にしゃべって。」

という森田さん。

人の体というのは

「何でもいい」

とか

「自由に」

とかいう指示によって

弛緩するのかと思っていた。

だけれど実際 そういう指示は

人の体をガチガチに緊張させてしまうのだと

このワークショップで気がついた。

それはきっと

自由に話そうとする時

そんな自分を制御すべく

巨大な「自己判断の目」が現れるから・・・。

自己判断ができるという事は 社会においては美徳だけれど

このワークショップにおいては 

驚くほど 何の役にも立たない。

なぜならば この舞台には完成形がないから。

誰か1人が「完成形」を思い描いて

それに向って進んでいったところで

決められた台詞のない 

ほとんど即興劇のような集団劇は

どのような結果にも結びついてゆかないのだろう。

・・・それでは 一体 舞台上で何をするべきなのか?

実はこの疑問は 根本的に間違っている。

このワークショップの参加者は

そもそも 

舞台上でするべき事がないのだ。

するべき事がない。

だから わたしたちは

自分にできる事を探す。

自分のもっているものの中から

何かをみつけて

それを舞台の上でさらけ出す。

ここに「表現」なんていう崇高なコトバは使えない。

ただ 出すだけ。

唯一するべき事があるとしたら

それは大恥をかく覚悟だ。

今日のお昼の稽古は人数が5人くらい。

初日と比べれば幾分空気が軽いので

自己判断の悪魔も 影を忍ばせていた。

・・・それにしても 

稽古2日目にして

「舞台の上で何も出来ないタイプの人、筆頭・・・」

というようなポジションに立たされているわたし。

この大変骨の折れる 自己判断の悪魔との戦いは

どのような結末を迎えるのだろう。

その日は5人ともが夜の稽古にも参加する予定だったので

お昼の稽古の終わりに

森田さんがちょっと時間の早い夕食をご馳走してくださった。

舞台を降りると ようやく普通に話しをできる・・・。

みんな妙に饒舌になりながら木次名産焼きさば寿司をつついた。

しばらくすると

遠くで降る雨が運んでくるひんやりした風みたいな雰囲気の男性が

のれんをくぐって入ってくる。

「なんだか もう1つのチームみたいになってるね・・・。」

声だけで 食堂全体が凛とした空気に包まれた。

そこにいたのは

俳優のイッセー尾形さん。

大物は遅れてやってくる。

ようやく役者は揃った。

舞台本番まで あと 3日。

・・・大丈夫なのだろうか・・・。

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