ほんとうの幸せ
森田さんについて語ろうとするとき
おそらく多くの人が
彼の奥深い人間性や鋭くも温かみに満ちた感性を
どのように表現しようかと熟慮するあまり
最後まで言い忘れてしまう事がある。
それは
森田さんは片足がなく 車椅子である事。
わたしなんて
森田さんについて熱く語った挙句に
「・・・で 森田さん 片足あるんだよね。」
と不適格な表現をしてしまったほどだった。
社会的に「障害」と言われるものは
森田さんの持つ強烈な個性の前で
存在感を消し去っている。
舞台前日。
今日の稽古では
ようやく上向きかけていた自信が
マイナスに下回る出来事があった。
おおよその配役が決まり
グループでの演技に入ったわたしたちは
そのグループ内で
試験的にいろいろな演技をしていた。
「それじゃあ その 隣の人
ユカリさんを 叱ってみて・・・」
という森田さん。
となりの人が リアルな出雲弁で
わたしを叱り始める。
頭では
これに対して
どんな台詞を言おうかと
それなりに冷静に
考えていた。
だけれど
心のほうは
どうやら
その叱責を真に受けてしまっていたらしい。
気がつけば泣きそうな顔で
舞台に立っていたのだ。
われながら 馬鹿だなぁ・・・と思うけれど
もともと すぐ涙目になってしまう
傷つきやすい性格。
舞台前日になって
泣いてしまうのではないか・・・
それから
緊張しすぎて吐いてしまうのではないか・・・
という どちらをとっても 生理現象系の
次元の低い不安に駆られた。
「舞台の上で泣いてもいいけど
今みたいな泣き方だと
客席が同情しちゃうでしょ。
もっと嫌な奴を演じて
それから泣いたほうが
客席は喜ぶ。
みんなが’’ざまぁみろ’’って
思うようにしたほうが
面白いよ。」
と森田さんは言う。
泣くな・・・とは言わない。
すぐ涙が出ること。
現代社会に生きる人々のうちの何人くらいが
このわたしの大変厄介な性質を
「個性」と呼んでくれるだろうか。
今の世の中で「個性」という言葉が使われるとき
それは人のもつ社会的に見て有益な特徴を指している事が多い。
才能とか能力とかそんな言葉と同義語のようにさえなってきている。
「個性をのばす」と言うとき
誰もそれが
どうしても時間を守れない怠慢さや
つい人と自分を比べてしまう妬み深さを
増長させようとしているのだとは思わないだろう。
だけれど 本当は 本当のところは
ダメなところこそが個性で
そんなダメな個性こそが誰かを救うことができる。
遅刻常習犯は今日も上司に叱られている
救われているのは誰だろうか。
おそらく救われているのは上司のほうだ。
醜い女は今日もひっそりと部屋の隅にいる。
救われているのは誰だろうか。
部屋の真ん中にいる美女のほうだ。
下らない男は今日も愚説を唱える。
救われているのは誰だろうか。
彼を嘲笑するまわりの人間だ。
「昔は老人がいて良かった。
今の年寄りは なんだか若々しいでしょ。
あれじゃ ダメだよ。
昔の老人はもっと本当に年寄り臭くて
うるさくて 厄介だった。
彼らがいるから若い人は
自分は若いって思う事ができたんだ。
そういうのって幸せな事でしょ?」
幸せな事・・・テレビのコマーシャルで見た
あの’’幸せ’’と
現実の世界の’’幸せ’’は違うんだ・・・。
きっと それはそれは 大きく違うんだ・・・。
わたしたちは
遅いよりも 早いほうが良いと思っている。
醜いより美しいほうが良いと思っている。
愚かなのよりも賢いののほうが良いと思っている。
そして、絶対的に
老いているよりも若いほうが良いと思っている。
どうしてだろう。
もしかしたらそれは
誰かを救うよりも
自分が救われたいからなのかもしれない。
誰かを幸せにするよりも
自分が幸せになりたいからなのかもしれない。
「目の前にいる人のために
お行儀悪く座ってみて・・・」
森田さんの一番初めの指示。
その意味が
舞台前日になって
ようやくわかったような気がする。
森田さんは「泣くな」とは言わなかった。
でも さすがに「吐くな」とは言うかな?
もしかしたら
「吐いても良いけど 人が喜ぶように
誰かのためになるように吐いて。」
って言うのかも・・・。
とても正直に言って 明日が怖い。

