気持ちの地図
トマトと玉ねぎ それからその日のカレーのメインとなる野菜は
あらかじめ 一口大に切っておく。
しょうがと にんにくの摩り下ろしを だいたい各ひとかけ分。
なたね油をフライパンの上で熱して
そこに一握りのクミンを入れ 香りが出てきたところで
しょうがと にんにくの摩り下ろしを加える
軽く水分が飛ぶのを待って
たまねぎ それから トマトを入れ軽く火が通ったら
野菜と水を加えて煮込む。
それからスパイスの調合をする。
スパイスは クミン クローブ ブラックペッパー シナモンなど・・・
野菜の味を生かすために スパイスはそれほど複雑にしなくても良いと思う。
とくに おイモ類、カボチャやサツマイモのカレーの時は
苦味の強いスパイスを少なめにする。
乳鉢の上でスパイスを粉状にしてゆく作業には原始的な趣を感じる。
乳棒をあやつる自分の回転の中に見ていた
インド人の着るサリーの色あいが
いつの間にか中国の山奥で漢方を調合する中医師の
絹の衣の袖先になって手首を覆うようになり
そこにさらに顔料を練り合わせるルネサンス期のテンペラ画家の
情熱が映し出されたりするのだ。
「Are you listening to me??」
そう言われて ふと 我にかえると
松江市のとあるカフェのテーブルに向って座っている。
炒めたトマトから立ち上る甘みを含んだ湯気もどこかへ消えて
そのかわり 今まさにカウンターのむこうで
焙煎が終わろうとしているコーヒー豆の匂いが立ち込めていた。
「 Sorry,,,Where are we now?…Oh, yes,,,so,,,」
わたしは こういう癖がある。
話が複雑になったり 不穏な空気が漂ったりしたときに
カレーであったり 韓国式のり巻きであったり オートミールクッキーであったりの
自分の得意料理を とても丁寧に 頭の中でシュミレーションするのだ。
ただし今日は とくべつ逃避の傾向が激しく
わたしの思考は自宅のお台所を通り抜けて大幅に時空を超え
三皇五帝の時代の中国の山間から
イタリアルネサンス期の大理石の宮殿にまで足を伸ばしていた。
こんなことではいけない。
今日はとても大切な人に とても大切な話をするために ここへ来たのだ。
それで わたしは 昨夜ベッドの中で書いた
「気持ちの地図」を下敷きにして
話を始めた。
その地図には 3つの小高い山があってその頂には小さな旗が立っている。
この3つの通過点を越えなければ ゴールにはたどり着けない
2つの山は それなりに気楽なハイキングコースであるけれど
もう1つの山は 厚い雲に覆われており 視界がひらけず
感覚だけを頼りに進まなければいけない。
わたしは おそらく とても日本人らしい日本人で
気持ちというのを 内側に押さえ込んでしまうようなところがある。
外に出す方法を知らないし
また 外に出すことによって その気持ちが変質しはじめるのを
怖れている。
頭の中でお料理を始めてしまうのも 逃避というよりは
自分がもう知っている事
自分の中で成立している理にしがみつこうとする
防御反応と言ったほうが良いのかもしれない。
でも今日はそれには頼らず 別のイメージの中に身を置いてみよう。
まず 1つ目の山に登る。
「今回の問題で 気がついた事。 感じたこと。
変わったこと。 変わらなかったこと。
今 思っていること。」
クリア
2つ目の山。
「過去について 思い返してみた結果。
見落としていたところ。
感謝していたところ。
怠慢だったところ。
また 過去がつくりだす 今の わたし。」
クリア。
論理的な言語である英語だったから
よけいに良かったのかもしれない。
思っていた以上にすらすらと2つの山を越えることができた。
ところどころ 拾いそびれたトピックはあるけれども
それでも はじめての登山にしては上出来だ。
3つめの山。
「これから どうしたいのか。」
何せ、未来は誰にもわからないので
前に進もうと思ったら
誰かと手と手を取り合って進むほうが安全だと思う。
それともむしろ登らないか。
わたしたちは 2杯目のコーヒーを飲み終えたところで
3つめの山には 登らないことにした。
山のふもとで雲が去るのを待つのも悪くない。
次の瞬間には雲が晴れて視界が開けるかもしれない。
わたしは3つめの山に登らなかったことよりも
2つの山に登れたことの達成感のほうに
胸を躍らせながら カフェをあとにした。
時々山に登ってみるのも良いと思う。
だって 登ってみないと
その山がどんなものなのか わからないから。
そこでどんなものを見つけられるか わからないから。
家に帰って自分の部屋のソファに腰をおろすと
髪にからみついていた 枯葉がはらりと
落ちるみたいに
こんなことを思った。
「あなたの ことが 大好き。
ぜったいに 何が あっても。」
秋は山に登ると良いと思う。
登ってみなければ どんなものを見つけられるか わからない。

