再見列寧
去年ネパールで知り合った友だち陳君に会うために
上海から北へ、電車で3時間ほどのところにある常州へ向う。
時を脱ぎ捨てるみたいにして流れてゆく上海の夜景を車窓のむこうに眺めながら
西塘(シータン)でお世話になったレイニェン君に教えてもらった
中国の歴史にまつわるストーリーを
ひとつひとつ取り出しては口に含むみたいにして
味わっていた。
唐の時代から清の時代までの変遷
どのような争いがあって
どのように国が統治されていたか
毛沢東がどのような人で
ロシアとどういった関係を築いていたか
社会主義が何を破壊して
何を生み出したか
はるか昔に資本主義を経験した中国が
社会の次の段階としてつくり上げた
国家資本主義とは どういったものなのか・・・。
西塘(シータン)に着いたその日に
レイニェン君の部屋で
「再見列寧」
と書いてあるコピーDVDをみつけた。
「これってもしかして、グッバイレーニン?のこと?」
と聞くと
「グッバイレーニン、知ってるの?」
と少し驚いたようだった。
「もちろん! いちばん好きなドイツ映画だから・・・」
と言うと
「実は僕の名前はそのレーニンからとったんだ」
と少し嬉しそうに答えた。
ちなみに わたしたちは
いちばん好きな 韓国映画も
いちばん好きな イラン映画も同じだった。
そんなわけで わたしたちは その日からとても仲良くなった。
レイニェン君は
大変 世界の歴史に詳しく
中国史の話ともなると
蔦が伸びてゆくき
様々な色の花が咲き乱れ
熟れた実がこぼれ落ちるみたいなふうに
いろいろな歴史のストーリーが溢れて止まらない。
西塘(シータン)最後の夜には
雑貨屋さんの閉店時間の11時から話し始め
気がつくと 空が白み始める 朝の6時になっていた。
これだけ語らせることのできる 中国の歴史と文化は偉大だ。
またレイニェンくんから聞いた話は
ウィキペディアで見る文字の羅列とは比べ物にならないくらい
立体的で そして色彩に富んでいる。
それは もしかしたら それらの話を聞いていたのが
カラフルな雑貨屋さんだったせいなのかもしれないし
レイニェン君のフランス語交じりの英語が
ストーリに魅力的なエッセンスを散りばめていたのかもしれない。
中国人がまるで 自分の経験してきたかのことのように
数千年昔の話をするのは
実際に自分の根っことして歴史を意識しているからだろうか。
レイニェンの熱をもった歴史講義は風化した遺跡に命を与え
もとの輝かしい姿に再生させることに成功していた。
上海の夜景は中国の歴史を重ね合わせるのには
風情がなさすぎるように思える。
また あの美しい西塘(シータン)の街に帰って
レイニェンくんの中国史講座を聞いていたいような衝動にかられた。
レイニェン君が教えてくれた
「和諧(hexie)」 という言葉を思い出す。
「中国人は この言葉を好んでよく使うんだ。
英語だとハーモニーみたいな意味。
だけど
この言葉はほとんどの中国人にとって
皮肉以外の何ものでもない。
この街と人々を見てごらんよ。
どこにハーモニーが感じられると思う?」
西塘(シータン)では
3つ物を壊した。
まずはじめに
プラスチック製の保温ポットの内側の瓶が割れてしまい
その次に電気式のヤカンが異様な振動音を出すのみで
一向にお湯を沸かさなくなった。
次に 延長コードが 手元で青白い炎を放って死んだ。
中国の電気製品は 壊れるというより
死ぬのだ。
死は唐突におとずれて そして
死んだものは ぜったいに生き返らない。
中国の電気製品と比べると
わたしのもっていったI-Phoneなどは
ほとんど神さまみたいな智慧と繊細さと生命力をもっていると思う。
レイニェン君に謝って弁償を申し出ると
「そんな事しなくて良いよ。 すごく安いから。」
「どうして中国の製品はすぐに壊れるの?」
あまりに気にしていないふうのレイニェン君だったので
自分の不注意を棚に上げて次にはそんな質問をした。
「だって 中国には ほんとうに ほんとうに 貧乏な人がいるから。」
との事だった。
中国のGDP1人当たりが確か330ドルくらい。
日本は確か38000ドルだから10ぶんの1以下。
全体の富の7割くらいを東部の都市が独占している事を考えると
西部の農村などはどのような経済が成り立っているのか
想像するのも難しい。
ともかく中国には
中国に住むすべての人に向けた商品がなければならない。
わたしのような日本人が
日本の製品を扱うような方法で使うと
あっという間に死んでしまうような商品がいくらでもあるのである。
中国産=粗悪品という事ではなくて
中国には格差に見合った品質の幅があるのだ。
実際にどれほどの生活レベルの差が存在しているのかを知るのは困難だけれども
中国製品の品質や値段の幅でその様子を垣間見ることができる。
レイニェン君は
「中国にも それなりに 良いものはあるけどね
でも 本当に良いものがあるのかはわからない。
今は本当の意味でのintellectual(知識層)がいないからね。
国内に読む価値のある本がないだなんて、信じられないよ。
それから芸術も、まだまだ先の話だね。
芸術家を輩出する土壌がないから。」
と苛立っていた。
レイニェン君は写真家の父親と医師の母親の子として生まれた。
当然 1人っ子である。
全く別の世界に住む両親がレイニェン君を真ん中にして
レイニェンファミリーが手をつないで歩いているのを想像してみる。
見上げると 太陽のないスモッグに覆われた空が広がっている。
その空は まだ子供だった頃のレイニェン君にとっては
あまりにも広くて
大きくて
そして不気味な深さをもっていたんじゃないだろうか・・・。
すぐ隣の国で同じ時代に生まれたわたしが見上げていた空とは
おそらく全く違う表情をした空だったのだと思う。
常州に着くと陳君とその叔父さんが
駅に迎えに来てくれていた。
1年ぶりに訪れる常州は
TESCOやAUCHANなどの
外資系のマーケットが以前よりも少し増えていて
そして相変わらず
車は恐ろしく乱暴に滑走してゆき
人々は気だるく歩みを進めていた。
2元で水あめを買っていた西塘での日々がはるか昔の事のように感じられる。
中国の旅は地理的に移動するとともに
時代も前後するような感覚にさせるのが面白い。
中国のハーモニーとは何だろう・・・。
「和諧・・・和諧・・・」
レイニェン君はそう言いながら
笑っていた。
「これは 自分たちのことを笑っているんだよ」
そう言いながら。
常州の汚染された空気を
思いっきり 吸い込んでみる。
少し内臓がきしむような そんな痛みを感じた。
どうしてだろう。
なんとなく幸せだと感じる。
自分のことを笑ってしまいそうになる。
「和諧・・・和諧・・・」
幸福とは ちょっとした息ぐるしさや
痛みに似ているのかもしれない。






