道徳的洗脳
時々、中国人が「道徳的問題」という言葉を使う。
日本がバブルの時期にノストラダムスの予言を信じていたように
今の中国は2012年世界の終末説に怯えており
いつもは「中国が1番!世界は中国のためのもの!」
みたいに言っている中国人が
突如として「中国には道徳的問題があるから、
2012年には、まず中国が、はじめに天罰を受けるんじゃないか・・・」
と顔色を曇らせたりしている。
日本はむしろ、とうとう全てが底を尽きた・・・という感があるから
2012年に世界がひっくり返えるのならば
今のジワジワと迫り来る現実的な不安や、
どうにも身動きのとれない状況をとりあえず解消できる。
と楽観的・・・というか、むしろヤケクソになっている人もいるのではないか。
もちろん、天災の恐怖を味わったことがなく
その上、積み上げてきたもののないタイプの人間がそんなふうに思うのだろうけど。
オーストラリアに住む友だちのアサコが電話をくれた。
「なんだか最近、
ワーホリで外国に来て羽目を外すバカな日本人の典型みたいになってるの。
こっちは、日本人びいきで、やたらモテるし
その流れに乗って、飲んで酔っ払って、楽しくやってると言えば、やってるんだけど
正直・・・で、何?
なんのために、こんな事してるの?
みたいに思えてくる。
やっぱり、わたし、日本の道徳観に洗脳されすぎてて、
他の西洋人みたいに
セックス!ドラッグ!ハッピー!みたいには思えないのかも。」
と嘆いている。
スカイプ画面にうつるアサコは、
タンクトップから日焼けした腕を出し
髪をあたまのてっぺんで、1つに束ねて
それが、いかにも、健康的なオーストラリア娘という雰囲気だ。
一方、スカイプ画面の右端の小さなスクリーンの中の
真冬の天津の冷え切ったマンションの一室のデスクに向っている
わたしの姿が、とても貧素に、不健康で嘆かわしく見えた。
セックス!ドラッグ!ハッピー!みたいな環境には正直
あまり興味はなかったはずだけれど
「いいねぇ。そういう生活も楽しそう・・・」
と、いつの間にか口にしていた。
それにしても、’道徳観の洗脳’’とは、なかなかセンスのある言い回しである。
’’洗脳’’という言葉が日本でとくに頻繁に使われるようになったのは
地下鉄サリン事件が起きて
オウム真理教の施設が一斉捜査された1995年頃だったと思う。
当時高校生だったわたしは
昼休みの教室の隅で誰かが
「お父さん!騙されちゃだめ!
彼らが言ってる事はぜんぶ嘘よ!
お父さぁぁぁん!!!!」
と、マスコミの前で涙ながらに訴える、
オウム真理教信者のモノマネをしていたのを見て
なるほど、洗脳というのはこうも、みっともないものかと
哀れに思っていたのを覚えている。
アサコはわたしよりも10つ近く年下だから
彼女の年代には
「洗脳」という言葉が、特定の意志の植え付けや
そもそも持っていた主義や主張を強制的に
別のものに改ざんする事を指すものとして
ある程度、定着していたのだろう。
この’’洗脳’’という言葉に対して感じる
異様な気味悪さ、恐れのような感情は
彼女ら以前の世代、特有のものなのかもしれない。
’’洗脳’’という言葉は、そもそも中国語の”洗脑xinao”が語源である。
それが英語の”brainwash”と訳され、それが更に日本語に訳された。
”洗脑xinao”とは
朝鮮戦争の時に、中国が米兵捕虜に対して行った共産主義の植え付け行為
隔離や、拷問、薬物投与などを含めた行為を指す。
ルーツを探ってみると、この言葉は、中国共産党にとっては、
その名のとおり
「資本主義の汚れた価値観や主張を洗い流すもの」であり
アメリカにとっては
「意識を 民主的で平和な世界から悪しき共産主義の世界に強制連行するもの」
と定義されても良いだろう。
友人アサコの意識は、どこで汚され、また、どこからどこへ連行されようとしているのか。
そして、わたし自身は・・・。
(つづく)

