解凍アンパンマン

5 月16

「これ!おねえちゃんみたい!」

わたしの、3歳の生徒がテレビに映ったアンパンマンを指差して、

そんなふうに言う。

アンパンマンという評価は決して名誉な事ではないが、

父親譲りの丸顔で、童顔なゆえ、

実際の年齢よりも、若く、見積もっていただける事がある。

今からおよそ3年前に上海周辺を旅行していた時は、

よく大学生に間違えられた。

中国の大学生は、日本の大学生と比べて、

どちらかといえば無垢で子どもっぽい印象があるので

「いやいや」と謙遜しながら、

実際、中国人大学生の中にわたしがいたら、確実に浮く、

というか、2,3歩後ろにいるみたいにくすんで見えるに違いない。

「大学生ですか?」と聞いてくる中国人は、

想像力が欠けているのではないか・・・と思ったりしていた。

去年の春に初めて天津に来た時も、はやり「留学生ですか?」と聞かれた。

トヨタに勤める駐在員の奥様たちのほうが、年齢的に、ずっと近いはずなのに、

「太太(奥さん)ですか?」と聞かれる事は1度もなかった。

そして実際の年を告げると、誰もが「へーっ!」目を丸くして、驚いた。

そんな事が、ほぼ毎日のように続くので、

もしかしたら、わたしの遺伝子は年を取らないプログラミングになっているのではないかもしれないと、

やや有頂天な空想にふけったりしていたものだ。

しかし、そんな気分でいられたのも11月を迎え天津の空が突如街を牽制しはじめるまでの事だった。

天津の冬は厳しかった。

1度外に出ようと思ったら、抜かりない装備が必要。

まずは、タイトなトレーナーみたいに厚みの「内衣(ネイイ)」と呼ばれる下着をつけて、

その上にニットを二枚重ね、着太りした全身をさらに厚手のコートで無理やり包み込み、胴体を守る。

そしてもっとも重要なのが、足元の防備。

靴下はもちろん、2枚か3枚重ね、足の指の屈伸ができないくらい丸まるとした指先を

マフ生地のフワフワがびっしり内側を覆っているブーツに押し込んだ。

それから、耳マフをつけてマフラーで目元のギリギリまでを覆う。

全身を自ら拘束服でかためたような状態を作っておいて、ようやく外に出る事ができた。

おそらく外を歩くときには、体ばかりか、顔全体の筋肉をこわばらせていたのだろう。

北風との戦いのような冬が終わり、春の緩んだ日差しの中で鏡を覗き込むと

冷凍したアンパンを解凍したみたいに、肌のハリが失われていて

わたしは3歳は年をとってしまったような気がした。

冬を越してから、わたしの年齢の話になると、

たいていの中国人が「20代半ば過ぎくらい・・・」と遠慮がちに視線をわたしの顔の真ん中に留めるようになった。

そして「いや、31歳です。」と言うと、急に気分が晴れたように

「本当に、若く、見えますね。」

と、もう一度、今度は目じりや首元や、

どこか実際年齢が顔を出していそうなところを容赦なく、覗き込んだ。

そういう視線をあびるせいか、わたし自身、顔の隅々をよく見つめるようになった。

「20歳くらいに見える」 と 「25歳くらいに見える」

の差はものすごく大きいようや気がする。

確実に年をとっている。 

冬の間、寒波と戦う一方で、わたしの生活は仕事を筆頭に様々な変化があった。

年始からバイトを始めたカフェが旧正月(2月はじめ)を過ぎた頃に閉店した。

生活の支えを失ったので、そろそろ日本に帰ろうかと考えていると、

そのカフェの常連客だった日本人学校の校長先生が、

わたしをそこの非常勤講師として雇用してくださった。

ようやく「先生」と呼ばれるのに慣れてきた頃、

ビザの期限が迫り、「そろそろ日本に帰ろうか」と考えていると、

その学校の関係者である、裕福な中国人が、

「ビザの手配をするので、うちの子どもの専任日本語教師をしてくれないか」と

オファーを下さった。

なかば、背後にあるお金の力に圧倒されるようなかたちで

「よろしくおねがいします」とお返事し

今では、そこで毎日、家庭教師をしている。

日本語教師とは言っても、教える相手は3歳の女の子なので、

彼女は、わたしの事を「先生」ではなくて「おねえちゃん」と呼ぶ。

「一緒に、とびっきり甘い卵焼きを焼いて、それを持って公園に遊びに行く、

じゃんけんをしたり、魚にエサをやったり、

アンパンマンの歌を歌ったり。

そういうのが、わたしの仕事だ。

いつの間にか、家族のみなさんに「おねえちゃん」と呼ばれるようになった。

気がついてみれば、中国での生活も1年にさしかかり、

天津のある裕福な家庭の「おねえちゃん」としての役回りが板につきつつある。

もしも同じような偶然や幸運の重なりを日本で体験したならば、

わたしは間違いなく

「これも、何かの良縁で・・・」

と枕詞を添えたくなるところだけれど、

ここ中国では、どちらかと言えば、

人と人との企みと打算とがつくった凹凸の淵を水のように流れているうちに、

今いる場所に行きついたといった印象を受ける。

こうして、陰と陽が入り混じっているのが、中国的な世界だ。

その一方で、日本、というか、わたしの生まれた出雲地方で言われるような、

善意と善意でできた、健全で完璧な縁というようなものが、

言葉は悪いけれども、それこそ、神話の中での話のように、

時代錯誤で、非現実的なものに感じられてしまう。

わたしのアンパンマン顔に、少しずつ陰が生じているのも、

もしかしたら、ただ、厳しい冬を乗り越えたという事だけではなくて、

そういう「陰」の部分を飲み込み始めた、

わたしの思考の性質変化によるものなのではないかと、

思ったりする。これが大人になるという事なのかもしれない。

ちょうど1年前に西安に行った時の写真を見ていたら、

自分の顔に、あまりに陰がなくて、それが、なぜか、

平らたく潰したアンパンマンみたいに見えて、

少し恥ずかしくなってしまった。

One Comment to

“解凍アンパンマン”

  1. On 5 月 24th, 2011 at Adkins26Deanna Says:

    Houses are expensive and not everybody can buy it. However, personal loans are invented to aid different people in such cases.

Email will not be published

Website example

Your Comment: