雨と半笑い

8 月26

都会を襲う豪雨が好きだ。

誰もが 雨に濡れながら いっせいに 歩調を速める。

ビルの隙間からは確かに 自然の猛威が押し寄せていて

それに気づかない能天気な電光掲示板は

水滴のむこうで 情報をさらに縁遠いものにしている。

浸水した道路を進む車のライトが

殺気だった猫の目みたいにぎらつく。

そして さらに街の様子を あるべき現実から 遠ざけ

歪ませているのが

傘の下から見え隠れする人の表情。

彼らはの顔は 怒りや悲しみではなくて

中途半端に静止した半笑いを浮かべていたりする。

傘に身を隠した人々は

きっと ようやくたどり着いた 温かく落ち着いた部屋で

「 今日は ものすごい 雨にあって・・・」

と 戦場から帰った騎士のような様子で

話し始めるのだろう。

都会に住む人は ほんとうに 

あらゆる種類の困難をやり過ごす事に長けていると思う。

便利さの反面 苦労が多様化しているから

おのずと そうなってしまうのかな? 

困った状況に腰を据えられるのが大人だと

誰かが言っていた。

困り慣れる事が大切だ・・・とも。

そういったわけで わたしは

タイミングの悪い 大雨が降るたびに

笑顔でやり過ごすようにしている。

いつの間にか わたしの口角は

雨が降るのと同時にあがるしくみになっている。

ただし 7月22日の早朝から降り始めた屋久島の雨には

例外的に顔をしかめた。

それは 空全体を覆った 雨雲が 

皆既日食を見れる可能性を ゼロに等しくしていたから

というより

その日 屋久島にいた人々の 失望の渦の中で

笑顔を見せるのは

不謹慎に感じられたからだ。

日食の音を聞きに来ているわたしは

「日食は 雨の 音でした。」

と この旅を結ぶことが出来るけれど

その日屋久島にいた

多くの人は半年以上前から 宿を手配して

吟味された日食眼鏡を持参して この旅に挑んでいるのだ。

屋久島は雨が多い島だと聞いていた。

だけれど この日食の日を除いて 島に降り立ってからの数日は

雲ひとつない 快晴が続いていた。

今日という日の

この皆既日食の始まる

午前中だけを除いて。

わたしたちは

時計と空とを 交互に見つめながら

島を車で 一周半した。

だけれど どこにも 雲の切れ間はなかった。

そして けっきょく 島の 南 尾の間に車を止めて

日食の時間を待った。

時間を待つというより

地球が ゆっくりと 宇宙が描く機軸に沿って

太陽と月の重なるところに行くのを待った

というのが

正しいのかもしれない。

しかも たまたま島に居合わせた人々と一緒に

息をこらし 目を大きく開きながら。

わたしたちが 1つの 大きな宇宙船に乗って

旅をしているというのは

紛れもない事実。

少しずつ あたりが暗くなってゆく。

ヒグラシが いっせいに 鳴き始め

突風が吹いた。

誰かが悲鳴を上げる。

これが 日食の音。

わたしは 日記帳とノートをもって構えた。

これだけ 大きな宇宙が わたしに迫るとき

わたしは どんな言葉を思いつくのだろうか・・・。

そんな事を 日食の日の前日くらいから考え始めていたのだ。

その時のわたしは

きっと 雨の都心を歩く人と同じく

「誰かに伝えたい」

「何かに残したい」

という 企みを含んで

口角をうっすらと 持ち上げていたと思う。

だけれど その時の期待はすぐに裏切られてしまった。

島から帰って1ヶ月が過ぎた今でも

7月22日の 日記を見るたびに

わたしは 少し がっかりしてしまう。

そこには

ほとんど 文章らしき ものが 見当たらないからだ。

単語の 羅列のように なっている。

人は あまりにも 自然に圧倒されるとき

文章を構成する事ができないのだ。

この ただただ 単語だけになってしまう状況は

絵を描いている 時の頭の中に似ている。

絵を描く作業をしている時は

これを 誰かに伝えようとか

これを 何かに残そうなんて 思わない。

ただ描いている。

空を描く時には

ただ

空 空 空

と思っている。

おそらく 口角も 持ち上がっていない。

しばらくすると 闇が少しずつ遠のき

また 光が差してきた。

謎めいた情景が

種明かしでもするように

日常然とした風景に組み替えられてゆく。

「 終わったね。 」

「見えなかったね 」

「 あっという間だったね。」

そんな声が 飛び交う。

長い文章を構成できなくなったのは

どうやら わたしだけでは なかったようだ。

S氏 と 白熊君 と わたしは

その後 小さな食堂に入って

昼食を食べた。

天井すれすれに設置された 小さなテレビが

くり返し 各地の日食の様子を中継している。

わたしたちは

日食の話題には

あまり触れないようにして

なぜだか とても日常的な話をした。

会社の上司のこと

家族のこと

帰りのフェリーのこと。

まるで つかの間の闇によって

押し広げられた不明瞭な空間を

現実の要素で埋め合わせようとしているみたいだった。

わたしは

「本当は あと1週間

屋久島にいるつもりだったんだけど

やっぱり

明日のフェリーで帰る事にする」

と 言った。

S氏と 白熊君の 2人は 少し驚いていた。

日食の音

8 月23

ここ最近 眠りの病である。

眠気が襲うというのは ほんとうに 的を射た表現だなぁ・・・と関心する。

眠気というものは 

寄り添うものでも

忍び寄るものでもなくて

真っ向からの襲来のようだ。

いちおう 両方の足で立ちながらも

半分 眠っているような時もある。

人と話しながらも 3ぶんの1くらい眠っていたりする。

3ぶんの1くらい眠っているわたしは

覚醒している時よりも

むしろ饒舌である。

先日 そのような状態で 友だちと話していたら

「ゆかりさんって何でも知っていますよね。」

と言われて 

ほんとうに ほんとうに びっくりした。

生を受けて以来一貫して不勉強であり

感覚的にしか 物事をとらえていないと 自負している わたしは

無知だけが 頼り というふうに 生きてきたのに・・・。

眠りに話を戻す。

座って 食べていると かならず うとうと してしまうために

ふと記憶を失って

それから 気がつくと 半分まで食べたご飯が 

手元で冷えて固まっているのを目の当たりにしたりする。

この 冷えて固まったご飯のビジョンから 始まる 現実の世界は

わたしが 継続的に見てきた 現実の世界と 色調を異にしている。

そこには

不慣れな感覚の衣を纏っているために

目の前にある 幸福を 感受する方法を思いつかないような

無力さが 漂っている。

その太刀打ちできなさは 

屋久島の皆既日食で感じたものに 少し似ている。

S氏と 白熊君と 屋久島を旅した。

午前には山に登り

午後には 川で泳ぐ

あんなに大きな空と

そして 甘く見てはいけない 太陽。

木々は樹齢をじわじわと重ねていて

滝は 複雑なリズムを刻み続ける。

「わたしは 日食が見たいというよりは

日食の時の音が聞きたくて 来たんですよ。」

と言うと 白熊君は

「僕は 日食の時は

どんな匂いがするんだろうと思って

来たんです。」

と言った。

S氏が運転するレンタカーで島を何周もしながら

いろんな話をした。

夜になると

星の明かりだけを頼りに

浜辺を歩いた。

水平線までを星が埋め尽くしている。

海がめはもうすぐ孵化して

海に向って いっせいに 進むのだそうだ。

その旅は カリフォルニアや南米にまで及び

そして そのうちの ほんの一握りが

20年後に また 産卵のために この屋久島に帰ってくる。

何せ 自然界の営みは 規模が大きいのだ。

その日は

翌日の 宇宙との対面に備えるために 早く テントに入った。

だけれど 興奮して なかなか寝付けなかった。

眠りたくても眠れないなんて事は

その日以降、1度もない。

屋久島と宇宙

8 月20

いつものように 夜の散歩に出かけると

星たちが こんぺいとう みたいに 色とりどりになっていて

秋が来たのだなとわかった。

夏はわたしがひとつ年を重ねる季節でもあるせいか

1年の軸としての位置を占めている。

春は夏の前の季節だし

秋は夏の後の季節

冬は夏から一番遠い季節という認識が

いつの間にか 成り立っているような気がする。

思えば 今年は 夏休みが5回きたような夏だった。

今年の1度目の夏は

韓国で過ごした日々。

それから 2度目の 夏は

イッセー尾形さんの舞台。

そして 3度目の夏は

屋久島の大変こじんまりとした洋食屋さんで 

一切れのハンバーグを残したまま

フォークとナイフを持って

唖然としている S氏の表情から 始まる。

「 どうやって これたんですか!!? 」

S氏というのは

1度目の夏の時に 韓国で知り合った陰陽師。

彼との再会が まさか 皆既日食の前の屋久島になるとは

わたしのほうとしても 容易に想像できるところではなかった。

「 どうやって ・・・って フェリーに乗って来たんですよ。」

夕方まで油彩画の教室で中絵の仕上げをして

それから バックパックに荷物を詰めて 夜行バスに乗り

福岡へ行き そこから 寝ぼけ眼で 鹿児島行きのバスに乗り換え

日食目当ての客でごった返しているフェリーに揺られて

屋久島に到着したばかりのわたしは

あまり複雑な返答をできる余裕がなかった。

「でも なんで チケット買えたんですか? 

みんな 半年前から準備してるんですよ。

それに 宿は?」

フェリーのチケットは なぜだかわからないけれど

空席を見つけることができた。

宿は今日だけ 民宿に泊まって

あとは テント暮らしをする事にしたのだ。

キャンプ場は 友だちの知り合いのところに確保できた。

そういった 充分ではないけれど なんとかなりました・・・という

経緯を説明していると

S氏と わたしと 同じ種類の旅人に属しているふうの

髭の男性が わたしの隣に座った。

皆既日食前の屋久島に押し寄せた人々は

ほぼ3種類の人種によって 成り立っていた。

パタゴニアを着て 

選び抜かれたアウトドアグッズが 

体のあちらこちらから閃光を放っているような

セレブなロハスピープルがそのうちの1つ。

そして もう ひとつの 集団は

ドレッドヘアか スキンヘッド・・・どちらにしても

オフィス街ではまず見かけない髪形に

梵字であったり ネイティブアメリカンのシンボルであったり

土の香りのするタトゥーを 腕全体に彫った

国籍不明のヒッピー風の人々。

それから 最後に S氏や わたし

そして白熊君のような

高速バスや電車で旅をしている

18歳をとっくに過ぎても 

青春18切符の旅が苦にならない

プライバシーを重んじられなくても

ゲストハウスの暮らしを楽しめる

質素な旅人。

「 なんだぁ・・・もっと

バリバリの旅人みたいな

強そうな人を 想像してたから

かなり意外・・・」

白熊君はそう言って

こちらを じっと見つめた。

わたしのほうでも白熊君に焦点をあわせる。

日焼けした顔の半分を生え揃わない髭がうっすらと覆うけれど

いわゆる 旅だけをしている人というよりは

普段はちゃんとした仕事をして 

週末だけ 旅人として生きているような

分別のある人に見える。

発言の内容よりも 話し方全体に

礼儀正しさが漂っているので

立派な社会人である事は間違いないと思った。

S氏と白熊君は鹿児島のゲストハウスで知り合って

そこから 一緒に屋久島に来たのだそうだ。

「もっと 強そうな人って・・・S氏は

一体 どんなふうに わたしの事を紹介したんですか?」

そうたずねると

S氏は

「 これるもんなら 来てみろ! って言ったら

本当に来てしまった人だって 紹介したんです。」

と答えて ハンバーグの最後の一切れを食べ始めた。

確かにそんなに負けん気の強い女の人は

タンクトップに 短パンで 

ごついバックパックを背負って登場しそうなものだけれど

先ほど 宿で軽くシャワーを浴びてきたばかりのわたしは

部屋着に使っている なんとも控えめなロングスカートをはいていた。

ご期待に沿えず申し訳ないような気もしつつ

もう一度 屋久島に来ることになった流れを思い出してみる。

韓国でS氏に会った時 確か わたしたちは屋久島の話をしていた。

S氏は 屋久島に以前住んでいたそうだから

なんとなく 話題に上ったのだろう。

それから 日本に帰って 1度 電話でお話した時もまた

屋久島 という 言葉が出てきた。

そして そこには 皆既日食という 

宇宙規模のイベントが加わっていた。

「皆既日食を見に

屋久島に行くなんて 素敵ですね。

わたしも行きたいなぁ・・・」

もののけの世界の隙間から見え隠れする

宇宙を思い浮かべながら

そう言うとS氏は

「でも 多分 今から準備しても ダメだと思いますよ。

入島制限もかかっているみたいだし

宿もフェリーもいっぱいでしょう・・・。

まぁ、 来れるもんなら 来てみてください。」

と変に突き放すような言い方をした。

突き放すというか 大人をムキにさせるような言い方だったと思う。

その言葉が なんとなく ひっかかった。

「 それじゃあ もし行けたら 行きますね。」

そう言って 電話を切って 数日後

自分でも驚くことに 本当に 屋久島に行ってしまったのだ

行けてしまったのだ・・・屋久島に。

初めてのテント持参でのひとり旅。

ムキになっていたとはいえ

そこまで 頑張ってどこかへ行くなんて事は

今後あまりないと思う。

白熊君は

「ええっ!!? それで 本当にこれたんですか?

どうやって? なんで!?」

と相変わらず 信じられない・・・という顔をしている。

そう言われてみると 

ほんとうにここへ来てしまえてよかったのだろうかという

疑惑が渦巻く。

この謎の答えは

旅の間に見つける事ができるのかもしれない。

その日は皆既日食の2日前で

わたしたち3人は

とても大きな宇宙との駆け引きの中に

身をおいていた。

今年3つ目の夏のはじまり。

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