Love is rollover

12 月24

愛と憎しみは表裏一体であるね。という話をクリスマスソングの響く空に投げてみる。
わたしは今、愛する男と一緒にいる。
彼の笑顔と彼の匂い、どんどん延びてくる髪の毛や髭、
気を抜くとすぐ太るところ、乱暴な話し方、物を持つときの指の配置など、
そんなもろもろの彼の要素を愛している。
恋愛中の誰もがそうであるように、
「こんなに人を好きになったのは初めてだ。」というような感覚から、
過去の経験と未来の可能性が完全にフェイドアウトしてしまい、今だけを生きている。
自身が、あまりにもひたすらに今を生きているために、彼の過去の女の話や、過去の悪事や、そんな類の事柄が持ち上がるたびに、わたしの心が、見事としか言いようのないスピードで彼から離れていく。
そしてやや距離を置いたところで、その小さな不満をかき回して、変なナルシシズムに浸ってしまう。
勝手に1人で「love is over」を口ずさんでしまうような、好ましからぬ心持ちである。
そして、またちょっとした事で、今度はぐんぐんと彼に心をひっぱられ、すとんと定位置に着地。
「ごめんなさい。やっぱり大好きでした。」となる。
この心の揺れは何だろうか。
クリスマスを迎えるにあたって、自分自身の精神の不安定さを正したい。

プライバシーに触れない範囲で、知人が話してくれた経験を回想してみる。
彼女は、ある男を愛していた。またそのある男も彼女を愛していた。
だけれど、ある日、彼女はその男が自分たち2人のものであるとばかり思っていた、男の自宅のベッドの上で、
他の女とファックしているのを目撃してしまう。
その衝撃的でありながら、男女の間では、まぁ、ありがちな出来事は
2人の関係を崩壊には追いやらず、むしろ、緩やかであった恋愛関係を膠着させた。
女は、1日に何度も、男の行動をチェックするようになった。今、どこで、何をしているのか、誰といるのか。
そして、説明が不十分に思えるときは、携帯でとった写真を送らせた。
以前、わたしとわたしの恋人が、遠距離恋愛をしていたときに、恋人が携帯に写真を送ってくれたのを彼女に見せた事がある。彼女は
「この写真を見て、何か、気にならない?」
と聞いてきた。どう見ても、ただの、自宅のソファーに座っている、恋人の写真である。
「何にも、気にならないけど」
と言うと、彼女は
「わたしだったら、まず初めに、この写真を誰が撮ったかを気にするね。・・・このカメラの目線の高さだと、かなり背の低い女だと思うけど・・・。」
と言った。後で恋人に聞くと、カメラをテーブルに置いて、自分で撮影したものだったのだそうだ。
「浮気相手は、リビングのテーブルだったよ」
と彼女に言うと
「うん。そういうところ、今後も、ちゃんと確認したほうがいいよ。」と、とても重みのある言い方をしたのを覚えている。

さて、浮気がばれてしまった彼女の男のほうは、また、奇妙なほど、彼女の行動を監視するようになった。
今どこで、何をしているのか?誰といるのか。そんな事を一日に何度も聞いてくるようになり、そして、急な呼び出しをするようになった。「今すぐ、会いたい」と男が言う。「今は会えない」というと、「なぜ会えないのか」と聞いてくる。「用事がある」と言うと「用事の前にうちに来れないのか?」と聞く。「今日はどうしても無理だ」と言うと「それなら、他の女と会うぞ」と半ば脅す。そんな事がくり返されていた。
そして、ある日、彼女の元に差出人不明のメールが送られてくる。
「久しぶり!今、近くにいるから、ちょっとでいいから会わない?」
と、そんな内容だ。相手は男性のようだが、全く聞き覚えのない名前だ。一体誰なのかと聞くと、高校の時のクラスメートだと言う。不審に思っていると、先方のほうでは
「え?覚えてないの?」と驚いている様子である。そして、自分の身に覚えのある出来事や、担任の先生の話をしてくる。もしかしたら、うっかり名前を忘れてしまったクラスメートなのかもしれない、と彼女のほうも思い始める。
これから、外国に行くところから、その前に少し顔を見たいと言われる。偶然、家の近くにいるのだそうだ。
それで、彼女も、ちょっと外に出るだけなら、とそのメールの主に会いに行く、待ち合わせの場所に行くと、やはり、まったく見覚えのない男が立っている。ただ、「全く覚えていない」とも言えないので、なんとなく話をあわせておく。そして30分後「一体、何だったのだろう・・・」と思いながら、家に帰る。すると、メールの着信音が鳴る。付き合っている男からだ。「他の男と会っていただろう。」と一言。そして、たったさっき会った見知らぬ男と一緒にいる所を物陰から映したような写真が添付されている。彼女はなぜか、反射的に罪悪感を感じて、必死で言い訳をする。よく知らない人から連絡がきて、それで、外にでてみただけだ。何の関係もない人だ。
だけれど、しばらくして、さすがに、起こっている事にしろ、そのタイミングにしろ、奇妙すぎると思い始める。
後になって、よくよく人脈をたどってみると、どうやら、その正体不明の男は、付き合っている男が送り込んだ工作員だったと知る事になる。
2人の関係は、緩やか恋愛から、拘束し合いのような関係になり、ある種、尻尾の捕まえあいのようになり、最終的には、事実の捏造が図られるほど、高度な戦略さえも練られるようになった。人間関係というのは、ある方向性を持ってしまうと、あとは、ひたすらその方向を追求してゆく性質を持っていると思う。方向が間違っていれば、それは「ころがり落ちてゆく」と表現しても良いかもしれない。

さて、振り返って、自身の話である。
ある日、ベランダに置いてある自転車を指差して
「どうして、あの自転車使わないの?」と恋人に聞く。
すると恋人は
「あれは、壊れてる。
前に付き合っていた台湾の子が少し太ってたから、
後輪が歪んで使えなくなったんだ。」
答える。
「あっ、そう。」
と言いつつ、内心では、
その話の後半、いらなくない?
友だちが、とか、せめて、’前に付き合っていた女’くらいで充分でしょ。
どうして、わたしが、その女の国籍や体型まで知らないといけないの?
無神経すぎじゃない?と怒りがわき上がってくる。
そして暴走するわたしの心は、孤独の淵にまで行き着く。
突出した愛は、そのぶん、大きな影を落とすものだ。
そして、また日本の歌謡曲を聴いて泣く。
「わたしは あんたを 忘れはしない
誰に抱かれても 忘れはしない。
きっと 最後の恋だと 思うから
Love is over….」
女とは、厄介な生き物である。

わたしは、幸運な事に、この世に「憎い」と思う相手が、ほとんどいない。
過去に目を向ければ、わたしから、いろんなものを奪っていった人もいるし、わたしを悪意の的として、攻撃してきた人もいる。
だけれど、不思議と「憎い」という気持ちは湧いてこない。
彼の昔の女たちの話が出るたびに、わたしの中に胃を焼くような不快感が立ちこめる。彼女らは、その原因ではあるが、正直、彼女たちの中には、憎むポイントは特に見当たらない。むしろ、話に聞く限り、とても素敵な人たちのようだ。カフェで話しかけられれば、すぐに友だちになるだろう。
ところが、なぜだか、わたしの恋人にいたっては本当に「憎い」と思う。
恋人には
「あなたの事が大好きだけど、時々、本当に心の底からあなたの事が嫌い」
と言っている。
「I hate you」
という言葉が、ネイティブの人に、どのように響くのかを知らない。
ただ、おそらく日本語の「愛憎」のイメージとは、微妙に違うのかもしれない。
その気持ちをアメリカ人の恋人に説明するために
「可愛さ余って憎さ100倍」という言葉を引用してみた。
凄く好きだとそのぶん、それが憎しみに変わったときが怖いって事だよ・・・。
と言っても、あまり納得いっていないようだったので
「それじゃあ、例えば川で死体を見つけたとするよ。
それが、ただの絞殺死体だったら、犯人を捜すのは凄く大変だと思うの。
でも、それが100等分されたバラバラ死体だったら?
これは、もしかしたら、その被害者の事をものすごく愛していた人かもしれないって思わない?」
わたしは、大林監督の映画「SADA」の中で黒木瞳が演じていた、イノセントな犯罪者、みたいなのを思い浮かべながら話していたが、おそらく彼のほうでは、コーエン兄妹監督の「ファーゴ」の後半で木材粉砕機にかけて処分される死体か何かを想像していたようだ。都市伝説を聞いた子どもみたいに
「うわーお。そんな怖い話をしないでくれ」と言いながら、笑っていた。
やはり、彼の
その笑顔が
愛しく思える。
愛情と憎しみに、どのように折り合いをつけてよいのか、いまだにわからない。
いろんな感情を抱えながら、それでも、
恋人と過ごす初めてのクリスマスがやってきた。
メリークリスマス。
みんなが幸せでありますように。

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