突風

5 月17

何事も続かないわたしが 唯一継続していたHimeringoブログを

かなり長い間、放置していました。

お久しぶりです。

みなさん、お元気でお過ごしですか?

しばらく全く更新されていたなかったにも関わらず

また ここに訪れてくださったかたに まず 

心をこめて 感謝を述べたいです。

ありがとうございます。

わたしのブログは自身の備忘録であるのに加えて

誰かへのメッセージでもあったり 

また まだ お会いしていない世界のどこかの方に

あらかじめ わたしが 不束な人間であるという事を理解していただくための

長々とした自己紹介であったりもするので

これからも 文体を変えてみたり 人称を不明なものにしてみたり

小さな嘘をおり混ぜてみたりしながら 

書き綴ってゆこうと思います。

どうぞ よろしくおねがいします。

わたしはブログが更新されなかった期間のうち 

おおよそ3ヶ月は九州にある温泉地のゲストハウスで働いていました。

宿で働く事は わたしの夢の1つでもあったので

この様な機会に恵まれたのが信じられないような気持ちで

労働に徹していました。

「Do you have rooms??」
(空いてる部屋はありますか?)

その宿のゲストの大半が 外国人のバックパッカーでした。

部屋のタイプは シングルが良いのか それとも ドミトリーが良いのか

宿泊日数は? そんな会話をして 先払いの料金をもらう

「Where are you from?」(どこから来たの?)

「Is it the first time in Japan??」(日本に来るのははじめて?)

パスポートを預かってコピーする間 そんな小さな雑談をして

そして 鍵を渡す。それが レセプショ二ストの主な仕事でした。

どんな風をまとった人が 

どんな流れにのって

この宿に来るのだろう?

と この場が結びつける縁に

思いをはせるようにして

受付に座っていたのです。

「I am from US but I live in China,

This is the second time in Japan.」

(アメリカの出身ですが中国に住んでいます。日本にくるのは2回目です。)

また、そうしていると あらゆる縁によって構成されている世界と自分とのつながりが

ただ1つの わたしの心がけしだいで 

どのようにも 変えられるもののように思えて 

心が軽く 未来が明るくなるのを感じたものです。

ゲストのチェックアウトの時には

笑顔で手を振って 別れを告げます。

そして その度に 少しずつ 

「別れ慣れた雰囲気」を体得していっているように 

小さく自己満足しました。

そしてまた 中途半端な笑顔を浮かべたまま 次の出会いに備えるのです。

わたしは しばらくは1人で生きていきたいと志願していたし

それならば この宿の母のように 

じっと動かない。 だけれど大きく開かれた人であろうと思っていました。

だけれど

その 赤や青の様々な色の温泉の湧き出る土地は 

その地盤の上に立つ人を 飲み込だり 排除したりを くり返しながら

生命を保っていたようで

わたしの場合 その土地に たっぷりと咀嚼された後で 吐き出され

そこにたまたま吹いてきた春風に奪われるようにして

その場を立ち退かざるをえなくなったのです。

少し前に宿の仲間からもらったメールには

「ゆかりさんが 受付に座っていないのが 不自然に思えます。

残されたスタッフは それぞれに 寂しさを感じながら 仕事をしています。」

と書かれていました。

わたしは そのメールに 大きく救われましたが その一方で

きっとあの土地には 当分の間

もしかしたら 2度と

帰ることはないのだろうと悲しくなりました。

動かず 開かれた人間でありたいという願望とは裏腹に

呆れるほど 様々な場所を 去ってゆくわたしは

「また次の機会」というのは

そうそう訪れないのだと気づきつつあるのです。

そして今 わたしは 天津に住んでいます。

外では黄砂が吹き荒れますが 

天津の中心地にあるマンションでの生活は大変快適なもので

朝には フルーツを中華包丁で切り刻んで朝食を作り

それから お茶を入れて 本を読んだり 中国語を勉強したり・・・。

もし仮に わたしが 宿の受付に座っていた時に感じていたように

世界がとても単純で 自身の心がけのみで 

どのようにでも変えられるのだとしたら

ますます 人は 天真爛漫な精神の扱いに

注意しなければなりません。

なぜならば その無防備な精神次第で

ほんとうに人生はかわってしまうから・・・・。

今になってみると

あの日 その宿に彼が来たとき

わたしの身勝手な精神は

彼と一緒にいる場所が 

わたしの存在している場所で

彼と一緒にいる時間だけが

わたしの人生を埋める時間なのだと

思い込んでしまったのかもしれない・・・。

そんなふうに 思えてきます。

それならば その時点で わたしは

呆れるほど温泉の湧き出る土地から

爪先を浮かせていたのでしょう。

時折 埃にまみれた天津の大気が 

建設中のビルを圧迫する手を休めると

そこには間の抜けた青空が広がります。

その圧倒的な原色に

めまいを覚えていると

彼は 少し心配そうに こちらを見ています。

「Aren’t you bored? Are you happy today?」

(退屈していない? 今日は幸せ?)

そのたびに わたしは 

この空には大きな一対の耳が潜んでいて

誰かの 悲しみも 喜びも

不安も 希望も

精神の感ずるところの全てを平等に聞き入れながら

新たな雨雲を作りだし 

次の動きに備えているように思えて

少し恐ろしくなってしまうのです。

そして わたしは とても とても力強く 

「I am very happy today!! 」

と答えます。

この半年くらいの間に

それはそれは 

いろいろな事があり

いくつかのものを失いました。

(詳しい事はまた のちほど。)

それでもなぜだか 

幸福には見放されず

ここ中国で暮らしています。

日々の暮らしのこと

感じていることなど

少しずつ

書き綴ってまいりますので

よろしくお願いします。

そして

みなさんの 

今この時が幸福で

その幸福が空いっぱいに

響いていますように。

色とりどりのエコ

5 月29

そもそも

世の中には「嘘」が多くて

「真実」はほんのわずか・・・。

ですから

世の中の

たいていの事を 

ひとまず懐疑的に見ておいて

間違いはない

と思っています。

そして 

だからこそ

「真実」というのは価値があって

見つけたときには

大事に両手で拾い上げるに

値するのだとも思います。

そんな怪しさいっぱいの世の中で 

とくべつ 

不可解さが際立っているのが

環境問題。

とくにエコという言葉はどうかなぁ・・・と思います。

例えば

リストラクチュアリング(再構成)という言葉が

「リストラ」と略されてから

何が起こったのか・・・

それは

人員削減をオサレに言っているくらいの

都合のよい意味合いに

変換されてしまって

その先にあったはずの

組織の再構築を問われなくなってしまった。

環境問題、やエコロジーという言葉を

ひっくるめて「エコ」と言われるようになって

何が起こったのか。

環境問題への取り組みが

新たな消費のスタイルになってしまった。

エコロジストがそもそも持っていた

反企業・反体制といった色彩は

グリーンの単色で塗りつぶされてしまった。

今や

エコという言葉を最も愛好しているのが

政府や企業です。

みんな一緒に

同じTシャツを着て

同じ笑顔で手を繋いでいるイメージ。

全部が全部ではないけれども

時々

それがまるで急速に肥大した怪物みたいに見えてくるのは

わたしだけかなぁ・・・。

・・・とまぁ、そんなことを 沸々と考えながら

在来線で4時間くらい・・・

島根の西の西

益田まで行ってきました。

「養老先生が語る

21世紀を森林(もり)の時代に」

という講演会を聞きに。

少し出遅れてしまい 

養老先生のお話を聞きそびれてしまいましたが

午前10時から午後4時まで

グラントワの大ホールで行われたシンポジウムの

午後の部のみ、参加させていただきました。

まったく未知の世界だった林業。

森林組合=人工林を管理する団体

というくらいの認識しかなかったわたしは

早速メモをとりながら

梶山恵司(ひさし)さんの

ケーススタディー

「日本林業に再生のチャンスが来ている」

に聞き入ります。

・・・ところがこのお話が 

無知なわたしにはついてゆけないくらい

速い。

スライドショーもどんどん過ぎ去ってゆく。

30分くらいの講演の中で書きとめることができた内容は

森林組合と企業との自由競争が成立しないこと

日本の林業機械がドイツなどの森林大国のものと比べて

30年ちかく遅れをとっていること

それから 

日本に専門的知識を有している

フォレスターが不足しているのだということ

そして 作業機械を入れる路網つくりが必要だということ

などでした。

近年の林業再生の理論的支柱と紹介されている方だけあって

論点が鋭く、そして 先ほども述べましたが

本当に話の展開が速いのです。

お話についてゆけない年配の方は

うとうと眠りの世界に入っておられました。

しかし、その電光石火の講義についてゆく気力のあるものにとっては

梶山さんのお話・・・というかパフォーマンスはとても有意義だったと思います。

なぜなら、梶山さんが今の日本の現状に本気で「怒って」おられたから。

それは

噴火するマグマのような真っ赤な怒りではなくて

冷え固まった火成岩のような

紫の怒り。

そして その次に講演をなさったのが

湯浅勲さんという

日吉町の森林組合のかた。

「難しいお話が続きましたので

・・・みなさん 指と指をクロスさせて 

ぐーっと 伸びをしましょう。

はい それをゆっくり右に倒してー

次は 左ーっ」

寝ていたおじいさんたちは

突然の のびのび体操 の指示に

催眠術にかけられたようになって

ゆらゆら 右ーっ 左ーっ と揺れていました。

その湯浅さんという方は

ほとんど機能しなくなってしまっていた

日吉町の森林組合を

ものの10年で甦らせるという快挙を成し遂げた方なのだそうです。

・・・と・・・この方のお話も非常に展開が速い・・・というか軽快。

どうやら 1人あたりに割かれている時間が30分と大変短く

みなさん 少し急ぎ足で話を進めなければならないようです。

わたしのノートの上にはミミズのような文字が連なってゆきます。

今、森林組合がやらなければならないこと

・現状を知る

・何日までに目標を達成するのかという日付設定

・そこに到達するまでのロードマップを作る。

・・・これは 森の仕事以外でも当てはまりますね。

そして してはならないこと

・皆伐

・むやみな 林道・作業道開設

・出来ない理由を述べて 具体的な行動を起こさないこと

・・・最後のひとつは 

なんとも身につまされます。

湯浅さんは民間企業から

森林組合に転職して その現状を目の当たりにされ

「大正時代やないか・・・」

と驚愕・・・組合の組織改革に着手されたのだそうです。

関西弁でさらりと進んでゆく講義の中にもまた

若干 現状に呆れかえっているような

蛍光灯のように発熱しない・・・だけれど力強い

白い怒りのようなものを感じました。

エコというのが

グリーン1色ではなくて

その日 壇上から放たれていた

怒りの色合いのように

ひとそれぞれの色調で

形成されていると良いです。

怒りの感情というのは

不調和音のようなものですから

社会から疎まれます。

だけれど この不調和音がなければ

社会は変わらない。

ホッキョクグマの映像を見て

シンパシーに流されるまま

グリーン1色の世界に身を隠して

エコでロハス快適な生活を送るよりも

あんなふうに

気持ちよく怒っているほうが

ずっと楽しい人生かも・・・。

もしも

みんなが それぞれの 

怒りを昇華させることができたなら

世界はもっと 

色とりどりで平和な時代がやってくると思います。

養老先生には会えなかったけれど

カッコイイ大人たちの怒りを感じることができた

すばらしいシンポジウムでした。

Thanks!!

92パーセントの世界

5 月22

母が裏庭の畑にしゃがみこんで、首をかしげていました。

水菜の苗の間から、植えた覚えのないカボチャの芽が出てきたのだそうです。

「それから あれは・・・きゅうり?」

と言って指をさしたナスの苗の少し横にも

小さな苗がすっと立っています。

カボチャとキュウリ

そして

この絶妙な間の感覚・・・

もしかして・・・。

「お母さん、肥料は何を使ったの?」

「何って、こないだビルちゃんのお部屋から持って帰った・・・」

カボチャを種ごとムシャムシャしているビルの

満足げな顔が思い浮かびました。

「あ・・・お母さん、この苗 多分、今流行りの豚由来のものだと思う・・・」

カボチャの植え付けは5月上旬ですから

おそらく最適な環境の中でスクスク育っていったのでしょう。

ビルの力強い咀嚼にも

貪欲な消化吸収にも負けず

新しい場をみつけて

新しい命を芽吹いた

カボチャとキュウリ。

自然のもつ力はすごいですね。

それと

こんなに早い段階でカボチャとキュウリに気がついた母も

なかなか目ざとい☆

人間の2つの目

そこからつながっている脳をあわせても

人は、そこにある現象のうちの

8パーセントの情報しか処理できないのだそうです。

なので水菜の畑から 突如 カボチャの苗が育っていても

相当大きくなるまで

たいていの人は気がつかない。

もしくは

「いいえ、これは カボチャのようですけど

水菜を植えた畑に生えていますので

カボチャであるはずがありません。」

というふうに処理してしまう場合もあるのだそうです。

そんなふうに92パーセントの世界の奇跡を

歓迎できなくなってしまうのは

なんだか寂しい事だと思いますので

いつでも目を凝らしていたい。

世界を感じていたい

というふうに思います。

それでもやっぱり

世界はわたしが思っている以上に大きくて

その上

とても細かい細工がなされているよう・・・。

ある時は

知らない間に庭先で大きく育っていた花が

雨の中からこちらを見ているのに

驚いたり

またある時は

ふと見上げた空に

この瞬間のうちに死んでゆく覚悟で

美を描いている色を見つけて

涙がこぼれたりするのです。

きっと 何の作為もなくそこにある92パーセントの世界は

誰かに意図された情報とは比べ物にならないほど

大きな力と奇跡によって成り立っています。

今この時、この場所にも 

その奇跡は

起こっているのだと思います。

(追記)

その後 92パーセントに属していた 豚由来のカボチャは

大きな力と奇跡によって

ありえないくらいの急速な成長をとげています。

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