平和を描く素材

12 月15

中国は、地球という星に張り付いた

1つの平べったい、別の惑星なのでは、と思う事がある。

もう少し悪い言い方をすると

地球に張り付いて、他国のあらゆる「富」や「価値」を吸い上げている

寄生種のようにも思えてくる。

中国ではYou Tube やfacebookがブロックされており

その代わり「You ku」という無料(ただし、広告がたくさん)映像配信サイトがある。

(名前からして、明らかにパクリ)

You Tubeは、一般人が情報の発信者にもなれるところが面白みだが

「You ku」は、ケンタッキーフライドチキンや

(ちなみに外資系というより、完全に中国化されており

チキンと一緒におかゆや、油条という中国の揚げパンを売っている)

中国の国産車、オンラインゲームなどのCMを30秒あまり聞き流しておけば、

新作映画も、日本の番組でも何でも見れるというところが売りだ。

また、こちらで人気を博している、ソーシャルサイトの「人人」(renren)は

ウェブのデザインやシステムからしても、

Facebookのコピーである事は論を待たない。

一時期前まで、国営テレビニュースで、

プライバシーの侵害や、ポルノによる情報汚染を口実に

散々Facebookバッシングをしていたのに

海外の情報をシャットアウトした中国版のものなら「没有問題」(問題なし!)

という手の裏の返しようが見事だ。

それからMSNメッセンジャーのコピーだったQQは、

最近、コピーの対象をSkypeに乗り換えた様子。

わたし自身Skype利用者。

3ヶ月に渡る、恋人とのつらい遠距離恋愛も

Skypeで乗り越えた経験があり

非常に深い思い入れがあるため

ある日突然、中国が、利益や、情報操作目的で

Skypeをブロックするような事がないように・・・と

祈るような気持ちでいる。

先日69億ドルを慈善事業団体に寄付した

Facebookの創始者マーク・ザッカー バーグ氏は

しばらく前に、プライバシー保護などの問題などで叩かれていたが

中国版のFacebook、「人人」や、「QQ」が、そのような批判の対象になる可能性はなさそうだ。

ここはなんと言っても、お金と権力がものを言う国なので、

「人人」や「QQ」上の情報は、機会があれば、すみやかに買収されるだろう。

世界の情報のネットワークの巨大なブラックスポットである、中国には、

あらゆるメジャーなネットワークの紛い物が存在している。

さて、そんな状況の中でも「孔子平和賞」の設立には、驚いた。

驚いたというか「そこまで、やってしまうか!!」と。

ルーシャオボウ(カタカナで書いてみる)の平和賞受賞を阻止しようと、

中国がノルウェーに圧力をかけたり

国内で受賞の情報をブロックしたりしたのは、

まぁ、理解できる範囲だったが

まさか、「平和」という概念さえも、

中国式に書き換えてしまうとは!!

確かに、今回のノーベル平和賞に「内政干渉」の一面が見られることは事実だ。

「ダライラマ」「オバマ」ときて、中国の民主化を求めた「ルーシャオボウ」

共産主義を「平和」に影を落とす’’悪役’’として仕立て上げる筋書きと、言えなくもない。

情報の隠蔽は、中国という国を乱さないための必要悪だったとも言える。

ただし新たな賞の設立という、あまりにも急速な動きには驚かされる。

ドイツで反体制的な人物がノーベル賞を受賞した際に

ドイツ側はそれに、反抗、独自の平和賞を設立した、とあるので

今回の中国の動きは、その猿真似なのかもしれないが・・・。

だけれども、「なぜ孔子!?なぜ儒教?」というのが、気になる。

毛沢東賞では国際的平和賞に似つかわしくないので

東アジア圏の共通言語である「儒教」を持ち出したのか・・・。

毛沢東の時に弾圧していたはずの「儒教」を

あっさり認めて、利用しているとしたら

Facebookから「人人」への流れと、それほど変わらないのか・・・。

つまり、

「国にとって都合が悪かったものを大義名分でもって完全否定しておいて

その裏で対象をコピー、都合の良いかたちに作り変える」

というやり方だ。

しかし、その対象が歴史的、哲学的遺産にまで及んでしまったのは残念だ。

中国人のアイデンティティーの中に

どれだけ「儒教」てきな思考が残っているのだろう。

中国人はある意味、シンプルな人が多く、

それを「彼らは純朴な人々である」と捉える時

わたしはその背後に儒教を連想する。

それに、隣人に対しては、さておき、友人や家族に、

盲目的に親切だったりするところは、

「仁」の精神と言っても良いだろう。

だけれど、「礼儀や他者に対する敬意の欠落」というのが、天災か何かのように

国全体に混沌をもたらしているのは事実であるし

身近な施設の衛生管理を見ても

生活の質に重きを置いていた孔子の教えを受け継いでいるとは、とても思えない。

(発展途上国であるから、というのは、言い訳に過ぎないと思う。

東南アジアも、インドもネパールも、中国ほど衛生に無頓着ではない。)

何よりも気になるのは「奪う」という事に、微塵の罪悪感も感じない中国の国政と国民性。

アジア圏で、儒教や孔子を銘打つ資格がある国があるとしたら

それは、間違いなく、中国ではない。

(日本である、とは言いきれない。

韓国ならば、少し納得がいく。

といった具合だろうか。)

時折、中国人と話していて、心が通じるのを感じる。

「その気持ち、わかります。」

と思えるのは、人の根底的な喜びなのだろう。

その時、高揚しているわたしの精神は

それが東アジア人としてのアイデンティティーに由来しているのか

それともFacebookてきなグローバリゼーションに基づく

「繋がりたい思想」に由来しているのか

果たして、どちらなのだろう。

どちらにしろ、わたしはここ、中国に住み

言語を習得し、

そしてなるべく多くの人との対話を試みたいと思っている。

そうしてみて、ようやく

東と西の間に立つ

わたしの中の「平和」を描けるような気がする。

質問に対する正しい答え方。

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