ポプラの木の葉

5 月18

おはようございます。

今日の天津は気持ちよい青空が広がっています。

こういう日は 太陽をいっぱい感じた後で 

並木道のポプラの木にじっと目を凝らします。

木の葉の揺れを見るのです。

あまりにも光の反射が激しいときには要注意。

日本ならば死者や負傷者の数がニュースにのぼるほどの

強風が吹き荒れているのです。

これほどに風の強い場所に来た事がありません。

これを誰かのせいにするならば

大規模な森林伐採をした人々であり

中国に木材を発注した人々であり

それならば きっと 中国に木材を発注せざるをえない状況にした

森林組合にも責任があり 

そしてそこには現状に目を向けない人々の

イノセントな怠慢さも手伝っているのかもしれません。

だけれど この街の人々は 誰が悪いだなんて

全く興味がないふうに 

偽ブランドのセレブ風サングラスで視界を確保して

ただひたすらに 自分の行くべき方向に歩みを進めているように見えます。

この街に不慣れなわたしにとって

このような強風の日の散歩はひどく心細いものです。

天津では今日も明日も そして おそらく 来年も 再来年も 数年後も

モダンな高層マンションやビルが建設されているのですが

その建設の足場となっているのは

大変 無垢な人々の創作であるに違いない

丸太を組み合わせて針金でぐるぐる巻きにしたようなものであり

絶妙なバランスで 空高くにそびえ

風が吹くたびに 音を立てて しなり わたしを脅かすからです。

こちらに来て何度か わたしの住んでいるマンションが

爆発音とともに崩れてゆく夢を見ました。

その夢の中で

わたしは落ちてくる天井の下敷きになっています。

だけれど 天井は思ったより軽く よくよく見ると その天井を作っている資材は

発泡スチロールの周りをセメントで薄くコーティングしたものであった事に気がつきます。

時折 道端で見かけるその資材は天井に使われていたのか・・・と

わたしは この世界に残した謎のうちの1つが解けたことに満足すると共に

どうやら これから天国に行くのだな と快く死を受け入れたりしています。

あちらこちらで建設中のマンションは

深夜にも工事の手を休める事がないので

おそらく その騒音が 

わたしの夢をそのように形作ってしまうのかもしれません。

建設中のマンションの近くで見かける

発泡スチロールをセメントで薄くコーティングした資材。

夢の中では それは 天井の資材として使われていますが

本当のところは 何に使われているのかは いまだに謎で

実際のところ 知るのが少し怖いようでもあります。

そして無関心でいる事のほうが 

スマートであるように思えたりするのです。

創造 と破壊 は いつも隣り合わせ。

建設が進むビルと道をひとつ挟んだところでは ビルの撤回工事が行われていたりもします。

「もしも ここに エイリアンが来たら どう思うだろう。

人類が地面を離れて 

あんなふうに宙に浮いたセルの中で生活しているなんて

信じられるんだろうか・・・」

半壊状態のまま 放置され、室内が露になっているビルの前で

アメリカ人はそう言って

新しい冗談を思いついたようなふうに

目を輝かせて笑いました。

人間のたどっている道は

どこか 異様であり そして 迷走しているようでもあり

もしかしたら ほんとうに それは 

人々の無関心と怠慢さに丹を発した

新しい冗談のようなものなのかもしれません。

中国という国は いつでも わたしを混乱させます。

だけれど ここで 起こっていることと

日本で起こっていること

世界で起こっていること

には 大きな差はなく

ただ 

プレゼンテーションのされかたが違うだけ

マークアップのされかたが違うだけ

なのかもしれません。

今日のポプラの木の葉はそれほど揺れていないようだから

これから 散歩がてらヨガ教室に行ってきます。

偽モノのグッチのサングラスで視界を確保しながら。

この街でこの本物のグッチのサングラスをかけるのは

なんだか少し馬鹿げているように思えてしまいます。

なぜなら

何が本物で 何が偽物かなんて

この街の人々は全く興味がないから。

突風

5 月17

何事も続かないわたしが 唯一継続していたHimeringoブログを

かなり長い間、放置していました。

お久しぶりです。

みなさん、お元気でお過ごしですか?

しばらく全く更新されていたなかったにも関わらず

また ここに訪れてくださったかたに まず 

心をこめて 感謝を述べたいです。

ありがとうございます。

わたしのブログは自身の備忘録であるのに加えて

誰かへのメッセージでもあったり 

また まだ お会いしていない世界のどこかの方に

あらかじめ わたしが 不束な人間であるという事を理解していただくための

長々とした自己紹介であったりもするので

これからも 文体を変えてみたり 人称を不明なものにしてみたり

小さな嘘をおり混ぜてみたりしながら 

書き綴ってゆこうと思います。

どうぞ よろしくおねがいします。

わたしはブログが更新されなかった期間のうち 

おおよそ3ヶ月は九州にある温泉地のゲストハウスで働いていました。

宿で働く事は わたしの夢の1つでもあったので

この様な機会に恵まれたのが信じられないような気持ちで

労働に徹していました。

「Do you have rooms??」
(空いてる部屋はありますか?)

その宿のゲストの大半が 外国人のバックパッカーでした。

部屋のタイプは シングルが良いのか それとも ドミトリーが良いのか

宿泊日数は? そんな会話をして 先払いの料金をもらう

「Where are you from?」(どこから来たの?)

「Is it the first time in Japan??」(日本に来るのははじめて?)

パスポートを預かってコピーする間 そんな小さな雑談をして

そして 鍵を渡す。それが レセプショ二ストの主な仕事でした。

どんな風をまとった人が 

どんな流れにのって

この宿に来るのだろう?

と この場が結びつける縁に

思いをはせるようにして

受付に座っていたのです。

「I am from US but I live in China,

This is the second time in Japan.」

(アメリカの出身ですが中国に住んでいます。日本にくるのは2回目です。)

また、そうしていると あらゆる縁によって構成されている世界と自分とのつながりが

ただ1つの わたしの心がけしだいで 

どのようにも 変えられるもののように思えて 

心が軽く 未来が明るくなるのを感じたものです。

ゲストのチェックアウトの時には

笑顔で手を振って 別れを告げます。

そして その度に 少しずつ 

「別れ慣れた雰囲気」を体得していっているように 

小さく自己満足しました。

そしてまた 中途半端な笑顔を浮かべたまま 次の出会いに備えるのです。

わたしは しばらくは1人で生きていきたいと志願していたし

それならば この宿の母のように 

じっと動かない。 だけれど大きく開かれた人であろうと思っていました。

だけれど

その 赤や青の様々な色の温泉の湧き出る土地は 

その地盤の上に立つ人を 飲み込だり 排除したりを くり返しながら

生命を保っていたようで

わたしの場合 その土地に たっぷりと咀嚼された後で 吐き出され

そこにたまたま吹いてきた春風に奪われるようにして

その場を立ち退かざるをえなくなったのです。

少し前に宿の仲間からもらったメールには

「ゆかりさんが 受付に座っていないのが 不自然に思えます。

残されたスタッフは それぞれに 寂しさを感じながら 仕事をしています。」

と書かれていました。

わたしは そのメールに 大きく救われましたが その一方で

きっとあの土地には 当分の間

もしかしたら 2度と

帰ることはないのだろうと悲しくなりました。

動かず 開かれた人間でありたいという願望とは裏腹に

呆れるほど 様々な場所を 去ってゆくわたしは

「また次の機会」というのは

そうそう訪れないのだと気づきつつあるのです。

そして今 わたしは 天津に住んでいます。

外では黄砂が吹き荒れますが 

天津の中心地にあるマンションでの生活は大変快適なもので

朝には フルーツを中華包丁で切り刻んで朝食を作り

それから お茶を入れて 本を読んだり 中国語を勉強したり・・・。

もし仮に わたしが 宿の受付に座っていた時に感じていたように

世界がとても単純で 自身の心がけのみで 

どのようにでも変えられるのだとしたら

ますます 人は 天真爛漫な精神の扱いに

注意しなければなりません。

なぜならば その無防備な精神次第で

ほんとうに人生はかわってしまうから・・・・。

今になってみると

あの日 その宿に彼が来たとき

わたしの身勝手な精神は

彼と一緒にいる場所が 

わたしの存在している場所で

彼と一緒にいる時間だけが

わたしの人生を埋める時間なのだと

思い込んでしまったのかもしれない・・・。

そんなふうに 思えてきます。

それならば その時点で わたしは

呆れるほど温泉の湧き出る土地から

爪先を浮かせていたのでしょう。

時折 埃にまみれた天津の大気が 

建設中のビルを圧迫する手を休めると

そこには間の抜けた青空が広がります。

その圧倒的な原色に

めまいを覚えていると

彼は 少し心配そうに こちらを見ています。

「Aren’t you bored? Are you happy today?」

(退屈していない? 今日は幸せ?)

そのたびに わたしは 

この空には大きな一対の耳が潜んでいて

誰かの 悲しみも 喜びも

不安も 希望も

精神の感ずるところの全てを平等に聞き入れながら

新たな雨雲を作りだし 

次の動きに備えているように思えて

少し恐ろしくなってしまうのです。

そして わたしは とても とても力強く 

「I am very happy today!! 」

と答えます。

この半年くらいの間に

それはそれは 

いろいろな事があり

いくつかのものを失いました。

(詳しい事はまた のちほど。)

それでもなぜだか 

幸福には見放されず

ここ中国で暮らしています。

日々の暮らしのこと

感じていることなど

少しずつ

書き綴ってまいりますので

よろしくお願いします。

そして

みなさんの 

今この時が幸福で

その幸福が空いっぱいに

響いていますように。

再見列寧

11 月12

去年ネパールで知り合った友だち陳君に会うために

上海から北へ、電車で3時間ほどのところにある常州へ向う。

時を脱ぎ捨てるみたいにして流れてゆく上海の夜景を車窓のむこうに眺めながら

西塘(シータン)でお世話になったレイニェン君に教えてもらった

中国の歴史にまつわるストーリーを

ひとつひとつ取り出しては口に含むみたいにして

味わっていた。

唐の時代から清の時代までの変遷

どのような争いがあって

どのように国が統治されていたか

毛沢東がどのような人で

ロシアとどういった関係を築いていたか

社会主義が何を破壊して

何を生み出したか

はるか昔に資本主義を経験した中国が

社会の次の段階としてつくり上げた

国家資本主義とは どういったものなのか・・・。

西塘(シータン)に着いたその日に

レイニェン君の部屋で

「再見列寧」

と書いてあるコピーDVDをみつけた。

「これってもしかして、グッバイレーニン?のこと?」

と聞くと

「グッバイレーニン、知ってるの?」

と少し驚いたようだった。

「もちろん! いちばん好きなドイツ映画だから・・・」

と言うと

「実は僕の名前はそのレーニンからとったんだ」

と少し嬉しそうに答えた。

ちなみに わたしたちは

いちばん好きな 韓国映画も

いちばん好きな イラン映画も同じだった。

そんなわけで わたしたちは その日からとても仲良くなった。

レイニェン君は

大変 世界の歴史に詳しく

中国史の話ともなると

蔦が伸びてゆくき

様々な色の花が咲き乱れ

熟れた実がこぼれ落ちるみたいなふうに

いろいろな歴史のストーリーが溢れて止まらない。

シータンの夜

シータンの夜

西塘(シータン)最後の夜には

雑貨屋さんの閉店時間の11時から話し始め

気がつくと 空が白み始める 朝の6時になっていた。

これだけ語らせることのできる 中国の歴史と文化は偉大だ。

またレイニェンくんから聞いた話は

ウィキペディアで見る文字の羅列とは比べ物にならないくらい

立体的で そして色彩に富んでいる。

それは もしかしたら それらの話を聞いていたのが

カラフルな雑貨屋さんだったせいなのかもしれないし

レイニェン君のフランス語交じりの英語が

ストーリに魅力的なエッセンスを散りばめていたのかもしれない。

中国人がまるで 自分の経験してきたかのことのように

数千年昔の話をするのは

実際に自分の根っことして歴史を意識しているからだろうか。

レイニェンの熱をもった歴史講義は風化した遺跡に命を与え

もとの輝かしい姿に再生させることに成功していた。

上海の夜景は中国の歴史を重ね合わせるのには

風情がなさすぎるように思える。

また あの美しい西塘(シータン)の街に帰って

レイニェンくんの中国史講座を聞いていたいような衝動にかられた。

レイニェン君が教えてくれた

「和諧(hexie)」 という言葉を思い出す。

「中国人は この言葉を好んでよく使うんだ。

英語だとハーモニーみたいな意味。

だけど

この言葉はほとんどの中国人にとって

皮肉以外の何ものでもない。

この街と人々を見てごらんよ。

どこにハーモニーが感じられると思う?」

西塘(シータン)では

3つ物を壊した。

まずはじめに 

プラスチック製の保温ポットの内側の瓶が割れてしまい

その次に電気式のヤカンが異様な振動音を出すのみで

一向にお湯を沸かさなくなった。

次に 延長コードが 手元で青白い炎を放って死んだ。

中国の電気製品は 壊れるというより

死ぬのだ。 

死は唐突におとずれて そして

死んだものは ぜったいに生き返らない。

中国の電気製品と比べると

わたしのもっていったI-Phoneなどは

ほとんど神さまみたいな智慧と繊細さと生命力をもっていると思う。

レイニェン君に謝って弁償を申し出ると

「そんな事しなくて良いよ。 すごく安いから。」

「どうして中国の製品はすぐに壊れるの?」

あまりに気にしていないふうのレイニェン君だったので

自分の不注意を棚に上げて次にはそんな質問をした。

「だって 中国には ほんとうに ほんとうに 貧乏な人がいるから。」

との事だった。

中国のGDP1人当たりが確か330ドルくらい。

日本は確か38000ドルだから10ぶんの1以下。

全体の富の7割くらいを東部の都市が独占している事を考えると

西部の農村などはどのような経済が成り立っているのか

想像するのも難しい。

ともかく中国には 

中国に住むすべての人に向けた商品がなければならない。

わたしのような日本人が

日本の製品を扱うような方法で使うと

あっという間に死んでしまうような商品がいくらでもあるのである。

中国産=粗悪品という事ではなくて

中国には格差に見合った品質の幅があるのだ。

実際にどれほどの生活レベルの差が存在しているのかを知るのは困難だけれども

中国製品の品質や値段の幅でその様子を垣間見ることができる。

レイニェン君は

「中国にも それなりに 良いものはあるけどね

でも 本当に良いものがあるのかはわからない。

今は本当の意味でのintellectual(知識層)がいないからね。

国内に読む価値のある本がないだなんて、信じられないよ。

それから芸術も、まだまだ先の話だね。

芸術家を輩出する土壌がないから。」

と苛立っていた。

レイニェン君は写真家の父親と医師の母親の子として生まれた。

当然 1人っ子である。

全く別の世界に住む両親がレイニェン君を真ん中にして

レイニェンファミリーが手をつないで歩いているのを想像してみる。

見上げると 太陽のないスモッグに覆われた空が広がっている。

その空は まだ子供だった頃のレイニェン君にとっては

あまりにも広くて

大きくて 

そして不気味な深さをもっていたんじゃないだろうか・・・。

すぐ隣の国で同じ時代に生まれたわたしが見上げていた空とは

おそらく全く違う表情をした空だったのだと思う。

常州に着くと陳君とその叔父さんが

駅に迎えに来てくれていた。

1年ぶりに訪れる常州は

TESCOやAUCHANなどの

外資系のマーケットが以前よりも少し増えていて

そして相変わらず

車は恐ろしく乱暴に滑走してゆき

人々は気だるく歩みを進めていた。

2元で水あめを買っていた西塘での日々がはるか昔の事のように感じられる。

中国の旅は地理的に移動するとともに

時代も前後するような感覚にさせるのが面白い。

中国のハーモニーとは何だろう・・・。

「和諧・・・和諧・・・」

レイニェン君はそう言いながら

笑っていた。

「これは 自分たちのことを笑っているんだよ」

そう言いながら。

常州の汚染された空気を

思いっきり 吸い込んでみる。

少し内臓がきしむような そんな痛みを感じた。

どうしてだろう。

なんとなく幸せだと感じる。

自分のことを笑ってしまいそうになる。

「和諧・・・和諧・・・」

幸福とは ちょっとした息ぐるしさや

痛みに似ているのかもしれない。

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